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【映画レビュー】『愛のコリーダ』レビュー:芸術か猥褻か、笑ってはいけない実話映画

元気ですか〜!?

どうも、ろけねおです。
年々やせ我慢と現実逃避だけが上手くなっていくアラフィフ男です。

今回は、1976年の問題作『愛のコリーダ』を観てみました。

愛のコリーダ

有名な『阿部定事件』を映画化した作品です。

猟奇的殺人「阿部定事件」女はなぜ愛人の男根を切り取って持ち歩いたのか

実話ベースで本番あり”という、色々とセンシティブなワードが並ぶこの映画。

最初はエロ目当てで観たことを白状します。

でも、結果的には、心が揺さぶられてしまいました。

なんだこれ。

エロなのに感動。

哲学的エロス爆誕。

実在した事件「阿部定事件」をもとにした映画

この映画、1936年に実際に起きた「阿部定事件」が元になっています。
簡単に説明すると、男女の情愛がヒートアップしすぎて、ついには寝ている男性の“局部”を切り取り、持ち歩くという衝撃の事件。

いや、「愛してるから、ずっと一緒にいたくて、切ったの」って、どういう論理!?
その発想はなかった。

いや、あってもやらん。

「本番あり」のリアリティと、品の良さの不思議

この映画、いわゆる“本番シーン”があります。

なのに、なぜか下品に感じない。

照明や構図の妙か、音楽の使い方か、それとも演出の品格か。

ガチの性行為なのに芸術作品として成立している不思議。

普通なら「エロ映画」として笑い飛ばされるはずなのに、どこか神聖で、観終わったあとに「これは愛のかたちかもしれない…」とまで思わせてくるのです。

クライマックスで笑いそうになったけど、泣けた

ついに例の“切断シーン”。

もうその緊張感に、なぜか笑いそうになる。

でも、その直後の描写に、ぐわっと胸が締め付けられる

ただの猟奇じゃなく、痛々しいほど真剣な愛のカタチがそこにある。

「持ち歩くほど愛しい」なんて、どれだけ強い想いなんでしょう。

常識では理解できない。

でも、映画を通して見ると妙に納得しそうになる自分が怖い。

エロスは時に芸術であり哲学だった

この映画を観て思ったのは、性と愛は人生の最も根源的なテーマだということ。

快楽とか欲望とか、そんな浅い話じゃなくて、「命の重さ」や「存在の意味」まで語ってくる。

そこに“本番”があっても、むしろ説得力すらある。

すごい説得力。

まとめ:エロを超えて、心にズドンとくる一本

というわけで『愛のコリーダ』、本当にすごい映画でした。

本番ありだけど下品じゃない。

狂気だけど美しい。

笑えるのに泣ける。

見る人を選ぶけど、ハマる人には一生忘れられない作品になるはず。

こんな人におすすめ

  • 映画で“本気の愛”と“性”を考えたい人
  • アートとしてのエロに興味がある人
  • 「実話ベースの映画」に弱い人
  • 性と死と哲学が入り混じる作品が好きな人

おまけ:「コリーダ」の意味とは?

タイトルの「コリーダ(corrida)」はスペイン語で“闘牛”のこと。
性愛を闘牛に例えるあたり、演出もタイトルも攻めてます。

愛とは命をかけた闘いなのか…
そんなカッコいいこと、人生で一度は言ってみたい。

それではまた。

ありがとう!

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