元気ですか〜?!
というこの始まり方を続けてきましたが、おわかりでしょうが完全にアントニオ猪木さんの真似です。
猪木さんの挨拶です。
その猪木さんがお亡くなりになりました。
新日本プロレスの創設者であり、元プロレスラーのアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至さん)が10月1日、都内で死去されま…
職場についてすぐ、このニュースを聞きまして、覚悟していたはずなのに、物凄くビックリしてしまいました。
ボクは悲しいよりも先に猪木さんでも本当に死ぬのか、と驚いてしまったのです。
もっと前に何かの動画で観た猪木さんは、それこそもうダメって感じでその時に一度は覚悟をしたのですが、そこから一度復活しました。
そんなことがあったので、やっぱり猪木さんは普通の人とは違うんだ、なんて思っていたのですが、また状態が悪くなっていきました。
24時間テレビでたまたま猪木さんの姿を見た時に、またしてもこれは覚悟しなければと思いました。
それでもどこか、また元気になるんじゃないかと思ってました。
それだけに突然の訃報に驚いてしまったのです。
ありがとう、アントニオ猪木
思えば、ボクは特に猪木さんが大好きだったということはありませんでした。
元気ですか〜!?どうも、ろけねおです。今回は自分のプロレスファンとしての始まりを書いていきます。タイガーマスクに乗り切れなかったボク1981年に初代タイガーマスク選手がデビューしまして、そこから一気に新日本[…]
そもそもプロレスを好きになったのは長州力さんだったので、猪木さんは長州さんが倒さなければならない大きな壁という認識でした。
ところが、そこから猪木さんの試合を何度も観る度に知らず識らずに猪木さんに魅了されていたようでした。
梅田で猪木さんを見た
30年ほど昔、大学生だったボクは昼間から深酒をしてへべれけでした。
味もわからないワインを飲み放題で呑みすぎて、フラフラと歩いていたら選挙活動中の猪木さんを見ました。
これが生の猪木さんを初めて見たときでした。
特に好きだという意識もなかったはずの猪木さんを目の前にした時、一瞬にして酔いは覚め、猛烈に緊張しました。」
マンガ『ONE PIECE』の中で大物の海賊が「覇王色の覇気」という目に見えない力で、
周りの人間を威圧し、時には気絶させるシーンが描かれますが、思えば演説していた猪木さんからは「覇王色の覇気」が発せられていたのです。
当時付き合っていた彼女もボクがプロレスファンであることを知っていたので、猪木さんがすぐ近くにいてナンボで握手してもらえる状況だから、握手してもらえと促されたのですが、ボクはその場所から1ミリも動けませんでした。
本物だ〜、燃える闘魂がホントにいた〜、という感じになって、恐れ多くて全然近づけなかったのです。
誰かを前にして、ここまで緊張したり、硬直したりしたことは後にも先にもこの一回こっきり。
この時、初めて猪木さんのことを意識している自分を知ったのです。
猪木さんの試合は観ずじまい
結局ボクは猪木さんの試合をライブで見ることはありませんでした。
ただ、一時期「1,2,3ダー」をするためにだけにビッグマッチに出てきてまして、そのときにリング上にいる猪木さんは何度か拝見したことがありました。
猪木さんの引退試合も行きたいな〜と思っていたのに、やっぱり東京まで行くのが面倒になってしまい、当時タバコを吸っていたので、猪木さんの引退試合記念のジッポーを購入して、タバコを吸う度にあの猪木さんの引退の時の言葉を胸に刻んだものでした。
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ
ありがとう
今でもこの言葉は胸に突き刺さっています。
確か、この引退のときに、人は挑戦をしなくなったら老いるという話をなさっていたかと思うのですが、それもボクにはインパクトがあって、特に何か大きな挑戦をしたことはないのですが、ちょっとした挑戦であっても、必ずこの言葉が頭に浮かびます。
いつも猪木さんが背中を押してくれていたのです。
しばらくは思い出しては泣くでしょう
昨日は仕事だったこともあり、猪木さんのことを考えずに済んだのですが、ふとした時に猪木さんのことを考えてしまうと、もうこの世にいないことを思い出して、涙が溢れてきました。
これまで昭和の大スターが何人もお亡くなりになっていますが、その訃報を聞いても、自分の生まれた昭和もずいぶん昔になっちゃったんだな〜程度のことでした。
ところが、猪木さんはそうは行きません。
完全に昭和が終わってしまった、1つの時代が終わった、極端に言えば、自分の人生にもなんだか一区切りがついたような気がして、猛烈に寂しい気持ちになりました。
ずっと遠くだった自分の死がもうそんなに遠くないんだ、と思えました。
猪木さんでも79までしか生きられないのなら、ボクはもうちょっと短いだろうな〜とも思いました。
今朝、ふいにTwitterでこれを見つけました。
1日に79歳で亡くなったアントニオ猪木さんの愛弟子で、昨年、デビュー50周年を迎えた藤波辰爾(68)が猪木さんへ勝利をさ…
藤波辰爾選手が号泣している姿です。
藤波選手の写真は今までたくさん見てますけど、こんな風に泣いている藤波選手を観たことがありません。
藤波選手にとって特別な人が亡くなってしまったことを猛烈に感じられて、計り知れない悲しみに包まれておられるのだろうと思うと、ボクまで号泣してしまいました。
そもそも、母の影響でプロレスを観るようになったのですが、猪木さんが新日を作ってくれなかったら長州さんを知ることもなかったでしょうし、こんな年令になるまで夢中になって観ることもなかったと思います。
猪木さんがプロレスの面白さをきっと教えてくれたんだと思います。
出会えて本当に良かったと思います。
また、ツラいときに何度もプロレスに救われました。
そんなこんなは全て、猪木さんのおかげです。
アントニオ猪木がいたからです。
本当に感謝しかありません。
猪木さん、これまで本当にありがとうございました。
安らかにお眠りください。
ご冥福をお祈りします。
しばらくは出勤時に『炎のファイター』を聞いて出掛けます。
それではまた。
ありがとう!