全てはプロレスである!

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プロレスについての持論を展開しつつ、時々脱線するブログです。プロレスを知らない人でもわかるように心がけます。

『新青年』人間椅子 鑑賞記

元気ですか〜!?

どうも、ろけねおです。

 

今回はプロレスに全く関係ないことを書きます。

 

僕の大好きなバンド人間椅子の新譜が出ました。

発売される随分前から予約してまで買うCDというのは、今や人間椅子くらいです。今回もDVDがついてます。レコーディング風景が観れてしまうというナイスな内容です。

良くも悪くもスルスルと聴けてしまう

僕はいつもiPhoneで音楽を聴いています。このアルバムももちろん同じように会社の行き帰りで聴いていました。

 

これまでのアルバムなら、いくつか印象的なフレーズが頭に残るんですが、『新青年』はこれまでのアルバムで聴いたことがあるような、良く言えば聴き馴染みのある曲ばかりでスルスルと聴けるし、悪く言えば変わり映えがないので、このアルバムを聴かねばならない理由が見つからないままスルスルと聴けてしまうアルバムでした。 

 

ただ、そのまま5周目(頭から終わりまでを5回聴くこと)を聴き終えたあたりから、それぞれの曲の輪郭がハッキリしてきました。

 

人間椅子のアルバムというのは、聴けば聴くほど味の出る場合が多くて、最初聴いたときにはインパクトが薄くても、そのまま聴き続けることで、あ、こんな事やってたのかという感じに、後から後から発見することが出来てきます。

 

さらに、仮にアルバムを聴いてピンとこなかったとしても、ライブでそのアルバムに収録されている曲を聴けば、必ず心を掴まれてしまうという現象が起きます。

 

多くのバンドはライブで曲を聴くと物足りない感じになってしまい、ライブの雰囲気やお客さんの盛り上がりで物足りなさを補うというようなことになりがちなんですが、人間椅子の場合は完全にCDよりもライブのほうが曲が仕上がってます。

 

だから、とりあえずライブへ行け!ということになります。

ningen-isu.com

そんなことを書いている僕ですが、今回はスケジュール都合で断念しました。

音がマイルドになった

ベースの鈴木健一さんの作る曲はコミカル風味で大好きなんですが、今回はそういうコミカルなものや、パチンコにまつわるものがないのもまた、インパクトに欠けてしまった要因かも知れません。

 

だけど、それよりも何よりもサウンド自体が実にマイルドにきっと誰が聴いても耳障りの良いものに仕上がっていることにも要因があるように思いました。

 

一般的には耳障りが良いものが良いわけで、むしろ改善なのですが、ハードロック/ヘヴィメタル系の音楽というのは、耳障りの悪さが魅力だったりしますので、それを求めて聴いてしまうとちょっと物足りなさを感じずにはいられないのです。

 

ギターによる耳をつんざくような高音や、ゴリッガリッといったベースの高音があまり聴こえてきませんし、ボディブローのように腹に来る低音もまたカットされているように思いました。

 

音が中音域にぐ〜っと圧縮されてるのです(多分)が、音が塊になって耳に圧力を掛けるようなこともないのです。身体に負担をかけない中高年に優しい音です。

 

悪く言えば腑抜け、良く言えばマイルドに仕上がっています。

メジャー化は嬉しくあり寂しくもある

この数年で、人間椅子は急にメジャー感が増してきました。それに伴いまして、客層もグッと若返り、グッズ売り場に黒山の人だかり、ライブのチケットを取るのも一苦労なんてことになっています。

 

人間が密集しているところ、長時間立ったまま、若者ノリが苦手な僕は、以前よりもライブに行くことが億劫になりつつあります。

 

そんな変化に沿った音作りになったように思います。やっと音楽で飯が食えるようになったのだから、出来るだけ長くその状態をキープして欲しい。そのことにより、更に素晴らしい作品を生み出してほしいという気持ちはあります。

 

でも、メジャーになればなるほど、胡散臭さやいかがわしさ、汚らしさが削ぎ落とされていき、人間椅子にこういう感じを求めていたのだろうか?と時々感じることもあるのです。これで良いのか人間椅子、なんてことを考えてしまったりするのです。

 

僕は人間椅子のメンバーでも何でもないんで、そんな事を考える必要はないのですが・・・。

 

人間椅子は比較的変化の少ないバンドであると思います。デビューアルバムと

最新アルバムの間には30年という月日が流れているのに、曲だけ聴くと、そんなには変わっていません。

 

しかし、曲を産み出す時、かつてはナチュラルに自分の内面から、出てきていたフレーズや歌詞を、現在はかつての自分ならこう考えただろう、とかつての自分を俯瞰で見て、にじみ出てきたものを掬って作品に投影しているように思えてしまうのです。

 

それの何が行けないのか、自分が何を言いたいのか、段々わからなくなってきましたが、それが成長したということなのかも知れません。いや、老いなのかも知れません。

 

そして、自分もまた、かつての胡散臭さやいかがわしさや汚らしさを求めているのではなく、かつての自分ならこういうものを浴びて喜んでいたので、これを浴びるとあの時の自分に戻れるような気がして嬉しいとも思っています。

 

また、これで喜べないと自分が老いてしまったのを認めることになってしまいそうで怖い、だから、俯瞰で捉えた想像上の人間椅子を掬った作品のほうが、今の自分には丁度いいとも思えるのです。

 

人間椅子の皆さんより、僕は10歳ほど年下のなのですが、彼らと同じ30年を過ごしてきて一緒に老いてきました。思えば、その時、その時に求める人間椅子を彼らは提供してくれていたのです。

 

今の自分には今の人間椅子が心地良い。そして、僕もまた新青年になったのだな、と思わせてくれたのでした。

 

これを書いている間にも『新青年』を聴いて、10周目に突入しましいた。もうすっかり体になじみました。いいアルバムです。ライブはDVDで観ます。

 

それではまた。

ありがとう!