好き勝手なことを書いておりますが、悪意はありませんのでご了承下さい。

『有田と週刊プロレスとF』エピソード9(越中詩郎編)

元気ですか〜?!

どうも、ろけねおです。

 

今回の『有田と週刊プロレスとF』は越中詩郎編でした。

少し前の武藤敬司編もそうでしたが、やっぱり今シーズンは個人にスポット当てる回が増えそうな感じですね。どのレスラーも厚みのあるレスラー人生を送っているので振り返るのは、楽しそうです。 

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高田伸彦 vs 越中詩郎は初めて泣いたプロレス

越中詩郎選手といいますと、思い出すのは高田伸彦 vs 越中詩郎のジュニア版名勝負数え唄を思い出します。

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僕が越中選手を知ったのは、新日に来て高田伸彦(当時)選手の目の前に立ちはだかったときでした。

 

有田さんも語っておられましたが、あの頃の新日はUWF勢が帰ってきて、そのえげつないキック攻撃に多くの選手が尻込みしていて、UWF勢がカッコ良く見えました。

 

そんな中で、藤波辰巳選手と越中選手だけがキックを食らっても食らっても立ち上がり、なんならキックをもらうほどに強くなっていくような感じでした。

 

かつて長州力さんと名勝負数え唄を展開した藤波選手はともかく、越中選手は全日本から来たので、どの選手よりも格下に見てました。越中選手に何が出来る、元全日の選手が新日のリングが勤まるわけねぇって感じでした。

 

ところがキックに全然ビビらないんですよ、越中選手は。今の新日にもキックが得意な選手はいっぱいいますが、当時は受ける側がキックボクシングや空手系の蹴りの対応が出来なかったので、ダメージが今の選手より深刻だったと思います。

 

それでも越中選手はUWF勢に向かっていったのです。その姿に感動して、ずっとバカにしていた全日の選手のことまでも、もしかしたら凄いんじゃないかと思い始めました。

 

そして、IWGPジュニアヘビー級選手権の高田伸彦 vs 越中詩郎。

 

今ではどっちがチャンピオンでどっちがチャレンジャーだったかは覚えてないんですが、高田選手も好きだったし、越中選手もどんどん好きになっていたから、どっちが勝っても嬉しいし、どっちが負けても悔しいという状況で、メチャクチャ興奮しました。

 

最後は後方回転エビ固めだったかな?越中選手が勝ったんです。高田選手が負けて悔しい気持ちよりも、越中選手が勝って嬉しい気持ちのほうが強くて、プロレスの試合を観て初めて泣きました。

馬場さんが嫌いだった

ルーテーズ杯に優勝したのが越中選手だということは知りませんでしたが、揃ってメキシコに武者修行に行って、越中選手はほったらかされて、三沢光晴選手だけがタイガーマスクになるために帰国命令が出たという話は知ってました。

 

確か、後にFMWで大仁田厚選手と一時代を築く、ターザン後藤選手も修行に出たっきり呼び出しがかからなかったので、FMWに行ったんじゃなかったか。

 

全日本プロレスの社長だったジャイアント馬場さんは外国人選手を高待遇で迎えていたのだけど、自分のところの所属選手にはこういう扱いをしていた(本当かどうかはわかりませんが)ので、馬場さんが大嫌いだったのを思い出しました。

 

こういう馬場さんの嫌な話も、新日贔屓になった理由でした。

外敵との闘い

ジュニア時代に熱くさせてくれた越中選手は、今度はヘビーになって天龍源一郎さん率いるWARとの対抗戦のときに、再び熱くさせてくれました。

 

このときは新日の最前線にたって、外敵WARを迎え撃つ頼もしい選手でした。元全日選手の越中選手が、このときには完全なる新日の選手として全日系のWARを迎え撃ったのは、不思議な気がしましたが、シビレました。

 

1回くらいはIWGPヘビー級チャンピオンになるかな?と思っていたのですが、結局なれませんでした。

 

高田延彦さんがIWGPヘビー級チャンピオンになった時、新日のベルトを取り返すのは、かつてジュニア版名勝負数え歌を紡いだ越中選手しかいないと、思っていました。

 

ところが最初のチャレンジャーに選ばれて、こりゃないなとガッカリし、実際に負けてしまいました。

 

こんなに身体を張ってるのに、人気だってあるのにチャンピオンになれないなんて、と悔しく思って、ファイヤープロレスで越中選手をプレイして、新日の当時のトップ選手を片っ端から倒しました。

長州さんの引退試合で、久しぶりに元気な姿をお見かけして、大変嬉しかったです。

 

それではまた。

ありがとう!


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