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『有田と週刊プロレスとF』エピソード10(長州力編)

元気ですか〜?!

どうも、ろけねおです。

 

今回は『有田と週刊プロレスとF』エピソード10です。

長州力編でした。

 

長州さんの歴史を振り返るのではなく、有田哲平さんが選ぶ「長州力3大“らしくない”試合」について語るという、これまでとはちょっと違うパターンでした。

1989年4月24日 東京ドーム「IWGPヘビー級王座決定&闘強導夢杯争奪トーナメント戦」1回戦 橋本真也 vs 長州力

クルッと丸め込まれてのフォール負けを喫してしまった長州さん。本来の長州さんなら、この決着の付き方にキレてもおかしくないのに、抗議もせずスッと控室に帰ってしまったのです。

 

有田さんはここに違和感を覚えたというわけです。

 

僕もこの試合は観たことがありますが、有田さんほど違和感はなかったのです。でも、確かに言われてみれば、本来の長州さんならば、明らかな負けじゃない決着のときは、レフェリーに抗議していたはずです。

 

長州さんはここから橋本さんの格上げをしたいと思っていたでしょうから、結果には何の文句もなかったはずです。でも、まさかこんなに短い試合で良いの?って感じだったんじゃないかな、と。もうひと盛り上がりあっての丸め込みのほうが良かったんじゃない?と。

 

だから、気持ちが乗っていないと言うよりは、レフェリーの動きが想定外で、ビックリしてたんでしょう。かと言って、結果にいちゃもんつけて、再試合するほどの時間もないし、結局橋本さんを勝たせることが出来たから、ま、良いか、みたいなところだったのではないかと思います。

2005年8月4日 両国国技館「WRESTLE-1 GRAND PRIX 2005」1回戦 佐々木健介 vs 長州力

この試合は観たことがありません。だから想像で書きますが、橋本戦と違うのは、これは完全に気持ちが乗っていないというのが大きいんじゃないかと思います。

 

主催者としては、いざこざがあったこの両者をリング上で戦わせて遺恨精算という形で終わらせるのが良いんじゃない?って考えていたんでしょう。

 

まさに全盛期を迎えていた健介さんに、下り坂を緩やかに下りていた長州さんが負けることにも、全然違和感はないわけですから、最後に握手とかハグとかしてシメれば、盛り上がったはずです。でも、長州さんは負けに納得してなかったんでしょうね。

 

健介さんのほうは、長州さんに憧れてレスラーになっていますから、ギクシャクしたままでは嫌だったでしょうし、いろいろあったけど、リングでぶつかりあえば、これまでのことを水に流せるんじゃないかと考えていたんじゃないでしょうか。

 

でも、長州さんは、きっとWJのことでお金にも困っていたかも知れないし、オファーがあればリングには上がるけど、やっぱり健介さんとは顔を合わせたくないって気持ちが勝っちゃったんじゃないでしょうか。

 

そもそものこの2人が揉めたきっかけは、WJのときの金銭問題でしょう。健介さんは息子のミルク代もないくらいに、生活が困窮していたのに、無理して捻出したお金(いや、お金を貸したら生活が困窮したんだったか?)を、長州さんに貸したら、あれはWJという団体に出した金だろ?なんで俺が返さなきゃいけないの?と、長州さんがお金を返さなかったことだと、どこかで読みました。そのとき、長州さんの娘は海外に留学するほど暮らしに余裕があったとか。

※記憶違いだったらごめんなさい。

この話、普通に考えると長州さん、そりゃないよ、と思ってしまうのですが、長州さんがここまで健介さんのことを嫌っているということは、何かこの話には欠けてるところがあるんじゃないかという気がします。長州さん本人もWJのことは語りたがらないらしいので、真相は藪の中です。

 

ただ、お金もらってリングに上っているわけですから、キチンと試合はして欲しいですね。この試合の長州さんはプロとしてアウトです。

 

この態度は去年だったか、マイケル・エルガン vs YOSHI-HASHIで負けたエルガン選手が何もなかったかのように、控室に帰っちゃったのを思い出しました。

 

やっぱりアレは、なんでYOSHI-HASHIごときに負けにゃならんねんという気持ちがつい出ちゃったんでしょうね。気持ちはわかるけど、プロとしてはやっぱりアウトです。

2001年5月5日 福岡ドーム 新日本プロレス「WRESTLING DONTAKU 2001」小川直也&村上一成 vs 長州力&中西学

今週のお題になった週刊プロレスの表紙がこの試合の1シーンでした。残念ながら、この試合も僕は観た記憶がありません。2001年ならまだプロレスを観ていたような気もするんですがね。

 

2001年なら、まだ長州さんは現場監督だったのかな?だとしたら、長州さんがカードを決めていたように思うのですが、小川さん絡みの試合はアントニオ猪木さんのゴリ押しで決定していたのかも知れません。

 

だから、試合を組まれたときからやる気がなかったんだと思います。なんで猪木さんの指示に従わなきゃいけないの?という小川さんや村上さんではなく、猪木さんに抵抗してこんな試合にしちゃったんだと思います。

 

ただ、これは小川 vs 橋本のあとですから、つまり「これがお前のやり方か?」と怒っていた長州さんと小川さんの対決が見られると思って、ワクワクしていたお客さんもいっぱいいたでしょうから、これもやっぱりプロとしてアウトです。

 

それとも想像していたよりも小川さんが強くて、長州さんの技術が通用しないのが早々にわかって、ムキになったら損すると判断して、中西選手に任せてしまったのかも知れません。これワールドで観れるのかな?

 

有田さんが最初に長州さんの魅力について、常に怒りを露わにしていたことをあげてました。思えば、僕もそんな荒々しさに憧れていたように思います。

 

リング上では決して笑いませんでしたが、この小川戦では花道で笑顔を見せています。いかに気持ちが入ってなかったかということの表れです。当然プロとしてからもアウトなんですけど、たまに素の部分が見えてしまうのもまた、魅力なのかな、と思いました。

それではまた

ありがとう!


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