全てはプロレスである!

全てはプロレスである!

何でもプロレスに絡めて語る雑記ブログです。プロレスを知らない人でもわかるように心がけます。

終わりは高田延彦→橋本真也→永田裕志

元気ですか〜!?

どうも、ろけねおです。

 

前回は自分がプロレスファンになったと自覚したときの話を書きました。 

でも、そこからず〜っとプロレスを観続けてきたわけではないのです。

 

90年台前半をピークにどんどんプロレス熱が冷めていったのです。

冷めていった原因は3つ(オカダ・カズチカ風)1つ!高田延彦選手の敗戦

熱が冷めだしたきっかけは1997年の『PRIDE1』です。

 

僕はUWFインターナショナルが大好きでした。

とりわけ高田延彦選手が大好きでした。

↑このハイキックにはシビレました。

その大好きだった高田選手が400戦無敗というナイスな肩書をもったヒクソン・グレイシー選手に負けたのが『PRIDE1』でした。

PRIDE.1~1997.10.11 東京ドーム~ [VHS]

「死刑台に上がるみたいな気分だった」高田延彦vsヒクソン・グレイシーを振り返る - エキサイトニュース(1/5)「死刑台に上がるみたいな気分だった」高田延彦vsヒクソン・グレイシーを振り返る - エキサイトニュース(1/5) 

このときにはすでにプロレスラーが最強ではないことをジワジワ証明されてきている頃だったと思います。

 

ただプロレスを代表するようなビッグネームが負けたわけじゃないので、それほどガッカリはしていなかったのですが、高田選手は最強を謳っていたビッグネームでした。

 

絶対に負けてもらっては困るレスラーでした。

 

いや、仮に負けたとしてももうちょっとで勝てたかもと思わせるような戦いをしてもらわないとしんどいレスラーでした。

 

ヒクソン選手がそれまでにないくらいに強いということはわかっていたのですが、まさか高田選手があそこまで手も足も出ないとは。

 

愕然としました。

 

高田選手が、あそこまで通用しないとは思いもしませんでした。格闘技のド素人である僕が見ても二人の技術の差は歴然で、そこに一番ガッカリしたのです。

2つ!橋本真也選手の敗戦

でも、その時新日本プロレスには高田選手を倒した橋本真也選手がいました。ミスターIWGPとして大活躍してました。

 

ポッチャリ体型が好きになれないはずだったのに、橋本真也選手はそんなことをすっかり忘れてさせ強さを感じさせるレスラーでした。

 

まさに当時の新日本プロレスの強さの象徴でした。

 

ところがどっこい、その橋本選手が1999年の小川直也選手にボコボコにされてしまいます。

検証シリーズ⑫ 「“1・4事変”が起きた深層を探る」|DaIARY OF A MADMAN検証シリーズ⑫ 「“1・4事変”が起きた深層を探る」|DaIARY OF A MADMAN 

※橋本選手が小川選手にボコボコのされたのを『1・4事変』と呼ばれております。

真相は未だハッキリしてませんが、小川選手がプロレスをせずにガチンコを仕掛けてきたわけです。

 

橋本選手なら、仮にどんな相手にガチンコを仕掛けられたとしてもキチッと対処できる技術の持ち主だと信じていました。

 

何しろ、解説のマサ斎藤さんが常々橋本選手は新日本では3本の指に入る(5本の指だったかな?)サブミッションの名手だと仰っていたし、猪木イズムの継承者であると思っていたからです。

 

なのに、橋本選手は何もできずにただただボコられていました。

 

いろんな事情があってのこととはいえ、強さの象徴だった橋本選手があそこまで無抵抗に殴られたり蹴られたりする姿はあまりにもショックでした。

 

3つ!特にありません。・・・ということはなく永田裕志選手の活躍

決定的なのはこれですね。

 

永田選手は、まず2001年のミルコ・クロコップ戦で負けました。

これはミルコ選手が遥かに強かったということなのかも知れませんが、これからの新日本プロレスを背負うのは、きっと永田選手だろうな〜と思っていただけにガッカリでした。

 

しかし、その後永田選手はIWGPヘビー級チャンピオン(新日本プロレスで最も権威のあるタイトル)になり、橋本真也選手の持っていた連続防衛記録を塗り替えてしまいます。

 

大好きだった橋本選手の記録をミルコ選手にあっさり敗れた永田選手に塗り替えさせるなんて、今の新日本プロレスは何を考えているんだとムカムカしました。

 

それでもその後、大活躍をしてくれるならまだしも今度はエメリヤーエンコ・ヒョードル選手と戦って無様な負け方をします。

試合が組まれた経緯は後から知ったわけですけども、当時はそんな事情知らないので、あまりの情けない姿にモウレツにガッカリしたものです。

 

それだけ永田選手には期待していたということなのですがね。

 

でも、こういう経緯があったにせよ、あまりに無様でしたし、その経緯をこうしてテレビで話してしまうのもまたカッコ悪いです。

 

その後、永田選手はIWGPヘビー級チャンピオンに返り咲きます。

 

ここでは完全に冷めてしまい、プロレスを観なくなってしまいました。

冷めてからもやっぱり少し気になってました

ハッスルはチラッと観てました

高田選手はその後、総合格闘家→高田総統とおもしろい感じに仕上がっていきました。

これはこれでおもしろいな〜と思ってはいたのですが、そんなに夢中にはなれませんでした。

ZERO-ONEも少し観てました

橋本選手はZERO-ONEでワクワクさせるプロレスをやっておられました。

終盤の橋本選手はず〜っとケガしてる印象、ミスターIWGPだった頃の試合は全然出来なくなってて、それもガッカリしましたね。

2000年台の永田選手だけは観てません

永田選手はもちろんのこと、次のエースとなる若い頃の棚橋選手にもいろいろガッカリさせられましたので観ておりません。

※長州選手がずっと棚橋選手にアドバイスしています。でも、棚橋選手はそのアドバイスにほとんど従いません(従えなかったのかな?)。それが面白い。

また観るようになった今となっては、この頃もしっかり観ておけば良かったかな〜と少し思います。

 

この時に、それまで所有していた週刊プロレスや週刊ゴングも全て捨ててしまいました。少なくとも10年分はありましたかね。相当な量でしたが捨てました。

 

それくらい、当時の永田選手の姿にはガッカリさせられたのです。

 

まさか、またプロレスを楽しむ時がやってくるとは思いませんでした。

 

次回は復活した理由を書いていきます。

 

それではまた。

ありがとう!